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田中 茂穂(たなか しげほ、1911年(明治44年)9月15日 - 1982年(昭和57年)10月11日)は、日本の政治家。鹿児島県議会議員、参議院議員、行政管理庁長官。 == 経歴 == 鹿児島県出身。福岡県立福岡中学を経て、1937年(昭和12年)、東京農業大学を卒業。 鹿児島県議会議員を3期務め、その間、県議会議長、自由民主党鹿児島県支部連合会長などを歴任。 1956年(昭和31年)7月の第4回参議院議員通常選挙に鹿児島県選挙区から自由民主党公認で立候補し当選した重成格が、その3か月後に病気で急逝したことに伴い、同年11月に実施された補欠選挙に立候補し当選。以後、第6回参議院議員通常選挙、第8回参議院議員通常選挙で再選され3期務め、1974年(昭和49年)7月の第10回参議院議員通常選挙には出馬せず引退した。 参議院議員としては、議院運営委員長、自民党参院国会対策委員長、自民党参院幹事長、自民党参議院議員副会長などを務めた。また、第2次池田内閣の大蔵政務次官、第1次佐藤内閣 (第2次改造)の国務大臣(行政管理庁長官)を歴任。 その他、全国信連協会会長、農林中央金庫審議員、全国農業協同組合中央会・全国農業会議所・全国新聞情報農業協同組合連合会(JA新聞連)・家の光協会などの理事を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田中茂穂 (政治家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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